NotebookLMを通じたツェッテルカステンとの対話
わあ、これは機能します。すばらしいです。わたしはわたしがつくったツェッテルカステンとおはなしできるようになりました。おや、非文でしょうか。事情を説明します。
Udon Zettelkasten System
いまわたしは Udon Zettelkasten System を構築しています。これは VRChat 向けの PKM で、簡単にとは言いませんが、VRChat 内でツェッテルカステンをつくって PC に保存することができます。
すべてはテキストです。あなたはワールド内でツェッテルカステンをオブジェクトとして見ることができますが、PC に保存するときそれは正体を表します。セーブデータをコピーして、メモ帳に貼り付けるとき、あなたは JSON 文字列を目にするはずです。キーと値によって構成される文字の連なりがこのツェッテルカステンの正体です。
ちょっと待ってください!ということは、これをそのまま大規模言語モデルに突っ込めば、わたしはわたしのメモとおはなしできるということでは?新しい思考の整理方法ですね。ワクワクします。さっそく試してみましょう。
実装
セーブデータを NotebookLM に資料として参照させてみました。
結論から言うと、そのままではダメです。なんか話が記憶と噛み合いません。このツェッテルカステンは、メモからメモへ関連付けが伸びているわけですが、それは片方のメモから一方的に伸びています。無向グラフではなく、有向グラフなのです。メモに記載される関連項目の欄は、お互いに接続されていません。一方通行なのです。
相互接続してやる必要があります。メモ A とメモ B があったとき、A の関連項目には B が、B の関連項目には A が載っている必要があるのです。さいわいにして、原型になりそうなプログラムの残骸が残されていました。けっこうかんたんに実装できます。
結果
素晴らしいです。なぜ誰もこれをやらないのでしょうか?みんなわたしにだけ秘密で影でやっているのでしょうか?ともかく、これは機能します。
さっそくいくつか質問してみましょう。
浦上燔祭説に関する質問
わたし: 浦上燔祭説1を起点に、関連する事柄を参照し、考察できることを論じよ。
AI:
与えられた文章は、原爆投下、特に長崎原爆をどのように解釈するかについて考察しており、「浦上燔祭説」を起点に、戦争の罪と責任、犠牲者の視点、平和への希求という 3 つの観点から考察を進めています。
ソース資料から関連する事実・アイデア
- 燔祭とホロコーストの関連付け: ソース資料にある「燔祭」の記述は、ギリシャやユダヤ教における儀式としての側面だけでなく、「転じて、族殺」という記述を含んでいます。これは、原爆投下を「燔祭」と解釈することの是非はさておき、大量殺戮としての原爆投下の残虐性を強調する際に有効となりえます。
- さらに、ソース資料には「ホロコースト」に関する記述があり、ナチスによるユダヤ人大量虐殺についても触れられています。燔祭とホロコースト、2 つのキーワードを関連付けることで、国家による組織的な大量殺戮の文脈において原爆投下を捉え直すことができます。
- エスペラントとザメンホフの理想: 平和への希求という観点から、ソース資料のエスペラントに関する記述を掘り下げることができます。
- ソース資料では、ザメンホフが異なる文化や言語を持つ人々の相互理解のためにエスペラントを創り出したと説明されています。ザメンホフは、ユダヤ人として迫害を経験したことから、相互理解による平和構築を強く望んでいたという背景を加えることができます。
- しかし、彼の理想とは裏腹に、彼の子孫はホロコーストの犠牲になったという事実も、ソース資料から読み取れます。この悲劇は、言語による相互理解だけでは解決できない、国家や民族間の憎しみや対立の根深さを浮き彫りにします。
- ソーシャルメディアにおける分極化と原爆投下: 一見すると関連性がないように思えるかもしれませんが、現代社会におけるソーシャルメディアの負の側面と、原爆投下を結びつけることで、新たな視点を提供できます。
- ソース資料にある「ソーシャルメディア・プリズム」は、ソーシャルメディアが自己や対他者の感覚を歪める可能性を示唆しています。これは、国家間のプロパガンダや情報操作が、国民感情を煽り、戦争へと導く過程と類似しています。
- また、「プリズムは穏健派を”ミュート”する」という記述は、現代社会においても、過激な意見ばかりが目立ち、冷静な議論が阻害されやすい状況を示唆しています。原爆投下のような悲劇を繰り返さないためには、多様な意見に耳を傾け、冷静な議論を積み重ねていくことの重要性を、改めて強調することができます。
これらの関連付けによって、原爆投下を多角的に考察し、その教訓を未来へと繋げていくための新たな視点を提示できる可能性があります。
コメント: ソーシャルメディア・プリズムにおいては、情報操作についてはむしろ否定していた印象があるのですが、そこまでは伝わらなかったみたいですね。ネットワーク的に遠いからかもしれません。それから、原爆投下と燔祭を結びつけることについて「さておいて」くれたところは良いですね。一概に否定するわけでもなく、無批判に肯定するわけでもない微妙なニュアンスがあって。あと、ソーシャルメディアと戦争を関連付けるのは、私にとっては新しい視点でした。そうですよね、政策に影響を出すツールですから。当然、戦争にも影響を出しますよね。
多数の命のために少数の犠牲を出してもよいか
わたし: 臓器移植が必要な患者 10 人を救うために、健康な人ひとりを犠牲にしてもよいか?ソースを参照し、理由とともに答えよ。
AI:
臓器移植が必要な患者 10 人を救うために、健康な人ひとりを犠牲にすることは許されません。なぜなら、いかなる人間も他者のために犠牲になるべきではないからです。
カントの人格の尊厳という考え方では、人間は自律する力を持つがゆえに尊重されるべきであり、手段としてではなく、常に目的として扱うべきであるとされています。
この考え方に基づけば、例え 10 人の命を救うためであっても、ひとりの人間をそのための手段として扱うことは許されません。
また、国家による自由がなければ、力を持つ個人による悪が蔓延し、国家からの自由がなければ、全体のための悪が蔓延してしまう危険性があります。
もし、10 人の命を救うためにひとりの命を犠牲にすることが許されるならば、それは「全体のために個人が犠牲になる」という考え方を許すことになり、国家による悪を許してしまうことになりかねません。
よって、臓器移植が必要な患者 10 人を救うために、健康な人ひとりを犠牲にすることは許されません。
コメント: 基本的に Google の出す大規模言語モデルは厳しくチューニングされているので、生存権を脅かすような発言はできません。ただし、今回は理由も含めてしっかりと出力されていますね。メモによっては正反対の回答が得られたりするんでしょうか。気になるところです。
Misskey 画像クライアント構想
わたし: Misskey 画像クライアント構想2の特徴と、その背景にある SNS に対する考え方について論じなさい。
AI:
Misskey 画像クライアント構想の特徴と背景にある SNS 観
Misskey 画像クライアント構想の概要
- Misskey 画像クライアント構想とは、日本のイラストレーター向け SNS である「Misskey.io」 上で、画像の閲覧と投稿に特化したクライアントを作るという構想です。
- Misskey.io は、Skeb との連携機能を持つなど、イラストレーターにとって便利な機能が充実している点が特徴です。
- しかし、現状では画像に特化したクライアントが存在しないため、この構想が実現すれば、より快適に Misskey.io を利用できるようになると期待されます。
背景にある SNS 観
Misskey 画像クライアント構想の背景には、テキストベースのコミュニケーションに疲弊し、画像を中心としたよりシンプルな情報伝達を求める SNS 観があると考えられます。
- ソースでは、既存の SNS に不要な機能として、「プッシュ通知」「フォロー、高評価などの通知」「フォロワー数表示」「投稿の高評価数表示」「ブロック」「相互フォローかどうかという情報」「リプライやメンション、DM などの社交」などが挙げられています。
- これらの機能は、ユーザーに「いいね」や「フォロワー数」といった指標を過度に意識させたり、返信や反応に追われることによるストレスを生み出す要因となっています。
- Misskey 画像クライアント構想では、これらの機能を排除することで、ユーザーが純粋に画像の発信と受信に集中できる環境を提供することを目指しています。
特徴
Misskey 画像クライアント構想は、以下の特徴を持つと考えられます。
- 画像中心の UI/UX: テキストよりも画像を強調したデザインとなるでしょう。
- リアクション・リプライ・メンション等の排除: これらの機能は提供せず、画像への集中を促します。
- Misskey API の活用: クライアント開発には、Misskey API 技術 が活用されるでしょう。
考察
Misskey 画像クライアント構想は、「ソーシャルメディア・プリズム」へのアンチテーゼとして捉えることができるかもしれません。
- 「ソーシャルメディア・プリズム」とは、ユーザーが承認欲求に駆られ、他者からの反応に依存してしまうことで、自己や他者に対する歪んだ認識を生み出すという問題です。
- Misskey 画像クライアント構想は、「いいね」や「コメント」といった数値化された評価指標を排除することで、ユーザーが「ソーシャルメディア・プリズム」の影響を受けずに、より自由な表現活動を行える環境を提供することを目指していると考えられます。
結論
Misskey 画像クライアント構想は、画像中心のシンプルなコミュニケーションを求めるユーザーにとって、魅力的な選択肢となりうるでしょう。 一方で、従来の SNS のような双方向的なコミュニケーションを重視するユーザーにとっては、物足りないと感じる可能性もあります。 今後、この構想がどのように具体化され、ユーザーに受け入れられていくのか、注目していく必要があるでしょう。
コメント: わりと長々と返してくれましたね。おおむねツェッテルカステンのネットワーク通りに出力されています。とてもよいです。ただ、アンチテーゼの用法はあっているのかな、というのは気になりました。
わたしについて
わたし: メモを残した人物はいかに世界をとらえていたか?
AI:
メモを残した人物の世界観
このメモを残した人物は、現代社会におけるコミュニケーション、特にソーシャルメディアのあり方に強い問題意識を持っていると考えられます。
- 人は「いいね」や「フォロワー数」といった指標に翻弄され、「ソーシャルメディア・プリズム」によって自己と他者への認識を歪めていることに警鐘を鳴らしています。
- 同時に、「ソーシャルメディア・プリズム」が生み出す問題を克服し、より本質的なコミュニケーションを取り戻したいという願望も見て取れます。
具体的な例として、「Misskey 画像クライアント構想」 が挙げられます。
- これは、既存の SNS の機能を極限まで削ぎ落とし、画像のやり取りに特化したシンプルなコミュニケーションを目指したものです。
- この構想は、「いいね」や「コメント」といった数値化された評価から解放され、より自由で創造的な表現活動を実現したいという願いから生まれたものと解釈できます。
さらに、この人物は分散型 SNS にも関心を寄せています。
- 分散型 SNS は、特定の企業がプラットフォームを独占するのではなく、ユーザーがそれぞれに合った環境を選択できるという点で、中央集権的な情報統制へのカウンターとなりえます。
- これは、個人の自由と自律性を重視するこの人物の価値観と深く共鳴していると考えられます。
また、この人物は、人間の本質についても深く考察していることがうかがえます。
- ヴィクトール・フランクルの『夜と霧』 や、永井隆の『いとし子よ』 といった、極限状況下における人間の尊厳を描いた文学作品にも関心を示しています。
- これらの作品から、苦難の中でも希望を見失わず、他者への愛と慈しみを持ち続けることの大切さを学ぼうとしているのかもしれません。
これらのメモからは、断片的にではありますが、この人物が人間存在の根源的な問題と真摯に向き合い、より良い社会の実現に向けて模索している姿が浮かび上がってきます。
コメント: 自分について言及されるのは、なんか変な感じがしますね。こっぱずかしいです。どうやら褒めてくれているようなので、否定はしないでおきます。
むすびに
思ったより機能します。おおむねよいです。最近は LM Studio などのローカルで動作する言語モデルでも、資料を読んでもらい回答させることができるようなので、そのうち試してみたいですね。
この AI マインドマップ構想は当初からあったものの、実現可能性は低いだろうと見積もっていました。しかし、資料に対応している言語モデルに JSON テキストを突っ込むといういささか乱暴な方法で容易く実現してしまいました。言語モデルしゅごい。ただし、スケールが問題になりそうですね。ツェッテルカステンが大きくなって、JSON テキストが非常に長くなっても対応できるのかが課題だと思います。ヘルプによれば、1 つのソースに最大 50 万語の制限があるようです。今回使用したセーブデータが約 2 万文字、あと 25 倍は書ける計算でしょうか。
これだけあれば足りるやろ、と見積もって現実がそれを容易く上回ってゆくのはデジタル界隈の常みたいなものなので、無視はできないでしょうね。複数のファイルに分割する方法などが必要でしょうか。NotebookLM がどういうアルゴリズムで参照するファイルを選んでいるのか知らないので何とも言えませんが、もしかしたら事前にクラスタリングなどしたうえで分割する手法が必要かもしれません。
いずれにせよ、あと 25 倍も書いたら Udon の同期の限界に達しそうです。アルファベット 6 万文字ほどしか同期できないはずですから。
当面は NotebookLM の心配より Udon の同期の限界の心配をしたほうがよさそうです。
ではまた。バハハイ。