近況など
筆が乗ったので近況などを書いてみる。
読んだ本のリスト
最近、読んだ本のリストを整理し始めた。以前から書き物は Git で管理しているのだが(このブログもそうだ)、読んだ本のリストも Git で管理することにした。
というのも、読書記録は読書メーターを利用しているのだが、無料の Web サービスはいつ消し飛んでもおかしくない。サーバー管理者になってみて、そう感じたからである。
Git が使えるメモアプリがある。名を Obsidian という。
を入れて使っている。
obsidian-book-search-plugin
これは書名や ISBN から本を検索して、テンプレートに沿ったファイルを生成してくれる。書籍データを取得・再利用可能な形で保存しておくのにとても便利だ。読書メモの叩き台としても使える。
obsidian-dataview
これは保存した書籍データを整理して表示するのに便利だ。DQL という SQL ライクなクエリ言語を書くことで、表を出力することができる。これのおかげで、
- 最近読んだ順に書名を並べ替えたり
- 読んだ本と読んでない本を分けて表示したり
- ジャンルごとに書名を分けて表示したり
できる。
obsidian-git
みんな大好き Git。他の端末との同期は Github などを介して行う。事前にプルしておけばオフライン地帯に行っても安心して記録を残せる。Github がサービス終了することは考えられるが、競合のサービスがあるので当面は大丈夫だろう。
どの拡張機能もメンテナーが死ぬか面倒になるかで開発終了する可能性はあるが、一度インストールしてしまえば基本オフラインで動くから当面の間は大丈夫だろう。
単一障害点
さて、替えの効かない単一障害点がある。Google Books だ。
obsidian-book-search-plugin はデータソースに Google Books を使う。そして、Google はいままでいくつものサービスを生み出しては消し飛ばしてきた。無料 Web サービスの鏡みたいな企業である。
いつか、書籍という文化がある程度採算が合わないくらいに廃れたころ、「もうからないのでやめます」と言い出しても文句は言えない。所詮は無料の Web サービスである。
「儲からない書店」がバズワードになった昨今、もはやそれは杞憂ではないと思う。
自由経済で回るデータソースがダメとなると、公共事業として回るデータソースを使うほかあるまい。国立国会図書館サーチの登場である。API があるようなので、頑張れば自動化も可能かもしれない。
全世界の書籍を参照できないという穴は、私はどうせ日本で出版された本しか読まないだろうという偏見でふさぐことにする。
思い出すことなど / 日本の名随筆 (別巻 16) 星座
思い出すことなど
夏目漱石の『思い出すことなど』青空文庫(底本:ちくま文庫)を読んでいる。というのも、『日本の名随筆 (別巻 16) 星座』作品社 で引用されていた俳句が気になったからである。たしか『天の川』飯島晴子 に出てきたのだったか……
そのまま引用する。
病んで夢む天の川より出水かな
あまり良い状況を反映した句ではない。この句が登場する章では、東京地方での水害と病気の悪化が描かれる。
『日本の名随筆 (別巻 16) 星座』では、天の川から水が溢れ出して水害が起きているさまを想像させる、などと解説がなされていたはずである。
シムシティと災害
「地震超怖い。何とかならないの?」
「地震エネルギーを放出させようぜ」
「させようぜって……具体的にどうするんだ。シムシティじゃないんだぞ」
というゴルゴ 13 のコラ画像があったはずだが、首都圏外郭放水路という「水害超怖いから何とかした」という産物を見ると、本当に凄まじいと思う。シムシティじゃないんだぞ。整備に関わった人には頭が上がらない。
思えば、東京の歴史は水害と共にあった。『家康、江戸を建てる』祥伝社文庫 を読むと、かつて沼地だった江戸を、荒川の治水工事でなんとかするという話が出てくる。ずっと闘ってきたのだ。そしてこれからも。
そういえば、『岩波データサイエンス Vol.6』に『リアルなシムシティの夢』という話が収録されていた気がする。シミュレーターとしてのシムシティ活用の話で、昨今で言うところのデジタルツインのようなものを言っていたのではなかったか。
ベツレヘムの星
『日本の名随筆 (別巻 16) 星座』作品社 には『ベツレヘムの星』串田孫一 が収録されていた。
私はこれをちょうどクリスマスのときに読んでいた。ムードは満点である。
ベツレヘムの星とは「きよしこの夜 星はひかり」の星のことで、クリスマスツリーのてっぺんに鎮座するアレである。
東方の三賢者がこの見慣れない星を見つけ、イエス・キリスト誕生に立ち会うこととなる。
実在の星ではないものの、実際にあったとしたらどんな天文現象だろう、などと面白い想像へいざなってくれた思い出がある。
そういえば、『きよしこの夜』だが、「み母の胸に」派と「まぶねの中に」派がいるらしい。私が学校で習ったのは後者である。まぶねとはまぐさ箱、ようするに馬の餌箱のことで、馬小屋で生まれたことを示している。
検索してみると、このYahoo!知恵袋がでてきた。出典が明記されていないので孫引きは控えるが、面白い。
Hajko
俳句と言えば、日本語以外でも俳句が詠まれていることをご存知だろうか。私はエスペラント語のコミュニティにいるのだが、そこでも詠んでいる人がいる。
Hajko という。j はヤイユエヨの発音である。末尾の o は名詞を表す。ハイコ、である。ハイコ。
あいにく、私のエスペラント能力はそこまで高くないので、一句引用するに留める。
La pigra pluvo
Rapidiĝas mi hejmen
Sekec' atendas
La は定冠詞、pigra は a で終わるため形容詞で「怠惰な」、pluvo は o で終わるため名詞で「雨」。
「怠惰な雨」
Rapidiĝas は as で終わるため動詞の現在形で「急いで」、mi は「私」、hejmen は hejme + n で、e で終わるため「家」が「家で(派生副詞)」と言う意味に、これに n(対格)がつき移動の方向が示され「家へ」。
「私は家へ急ぐ」
Sekec'は品詞語尾が無いが恐らく「乾いた」「干ばつ」、atendas は動詞の現在形で「期待している」「待っている」。
「乾くのを待っている」
日本語にまとめてみる。こんな感じでどうだろうか。
「急く家路降りしく雨に照る日待ち」