認知症は謎の恐ろしい病気ではない - 読書メモ

認知症に対して漠然とした不安を抱いていました。家族や私自身が、生きたまま、誰かの世話を必要としながらも、その相互作用的本質が失われてしまうのではないかという不安です。しかし、この本はそういった無知だからこその過剰な忌避を和らげてくれます。

この本は私たちが長い人生を生きていくための足掛かりとなってくれます。

※ネタバレあり注意

認知症でも心は豊かに生きている

  • 著者: 長谷川和夫
  • 出版社: 中央法規
  • 出版年月: 2020 年 08 月 10 日
  • ISBN: 9784805881903
  • ページ数: 208

「長谷川式簡易知能評価スケール」については前から聞いたことがあり、それを作った人自身が認知症になったことも知っていた。しかし、それ以上のことは知らなかった。図書館で新着資料の棚に置いてあるのを見つけ、なんとなく借りてみた本だったが、読んでみたところ伏線が回収されるような思いで、これなら買ってもいいかもしれないと思った。著者は認知症の研究者であり、「痴呆症」を「認知症」に改めたのは彼で、いまでは認知症に罹患した当事者でもある。

読んでみて私に起きた変化としては、認知症が謎の恐ろしい病気ではなくなったことが大きいと思う。認知症は「暮らしの障害」であり、周りの人との関わりによって暮らしを改善することができる。認知症になって失われるのは魂や心ではなく、あくまで認知機能、つまり「暮らしやすさ」にすぎないのだ。認知症になっても絵画や音楽に感動することはできるし、尊厳を傷つけられたら気づくことができる。だからこそ、認知症の人にごまかしは効かないわけで、対応の難しさがそこにあるわけだが、ここではひとまず安心要素としておく。

あと、デイサービスやショートステイが「わりとよい」と言ってくれたところも安心できた。家族が認知症になったとき、すべて自分で面倒を見ないなんて邪悪だ、とは決して言ってはいけないのだ。可能な限り他人やさまざまな機関に頼るべきだ。知っていたことだが、改めて言われると安心する。

なんとなく頭の中に「こういうふうに歳は取ればいいんだリスト」をつくっている(明文化しているわけではない)のだが、そこに新しい人が加わった気がする。ありがたい。ありがたい。

どれも示唆に富む言葉ばかりが収録されている本なのだが、100 個の中からできるだけ少なく、抜き出しておく。

  • 認知症の人に対して、その場しのぎの答えや生半可ななぐさめは通用しないことがあることを知っていただきたい。
  • デイサービスやショートステイを体験して思ったことは、「悪くないな」ということでした。
  • 認知症が進んだとしても、絵画や音楽といった美しいものに触れる生活を過ごしていきたいと思います。
  • 認知症になったのは不便なことですが不幸なことではありません。
  • 認知症になっても生活環境次第で「本当に認知症なのか?」といわれるくらい見違えるようになる人もいます。
  • 認知症のケアは決して一人ではできないことを知りましょう。「人に助けを求めるのは面倒だ」「自分のやり方でいいんだ」と思い込まないことです。

ほぼ前半部分からの引用になってしまったが、数が多くなりすぎるのも考えものなのでこのへんにしておく。

日本は個人の尊厳に関して非常に課題の多い国だと思う。著者が言うには、課題の多い中で唯一自慢できるのが、世界でも長寿国のトップランナーであることなのだそうだ。この面で、日本は世界にモデルのない挑戦が続く。

国家規模の政策といえば最近ではマイナンバーカードが記憶に新しいが、これは世界中の失敗例をかなり研究しているように思う。たぶんだけど、日本はこういう他国の動向を研究して輸入するのはうまいほうだと思う。いっぽう、認知症の対策は世界でも例を見ないものになる。

できるだろうか?「認知症になっても高齢者が尊厳を持って暮らせる街づくり」が、わが国に、そして私に。子供の尊厳を守るためのこども庁はできたが、包括的に人権を守るための機関が、切実に必要なのではないかと考えた。そんなことを、国連も日本に勧告していたはずだ。

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